足和田地区(長浜・西湖・根場・大嵐)

足和田地区(長浜・西湖・根場・大嵐)足和田


明治11年に大嵐村と長浜村が誕生しました。明治21年大嵐村は鳴沢村と合併しましたが、明治32年には分村します。昭和17年、長浜村と西湖村が合併し、西浜村ができました。昭和30年西浜村と大嵐村が合併し、足和田村が誕生しました。


■長浜長浜


長浜地区は、旧足和田村の中心。河口湖の西側に位置し、奥河口湖とも呼ばれ、静かな入り江の続く静かな地区です。
戦前までは、養蚕の盛んな地域でしたが、戦後は田圃の開墾にも力にも力を入れました。また、奥河口湖の自然を生かし、民宿なども10軒近くあります。現在、地区の北東側の山を「桜の名所」にということで取組みが始まっています。
毎年8月15日に行われる「ふるさと祭り」は、地区の最大のイベントとして、盛大に行われています。


■西湖西湖

西湖地区は、西湖の北東に位置し、武田の時代から西海衆と呼ばれ、本栖番所の警護、材木の伐採搬出作業に従事していました。天文21年(1551年)、信玄が西海衆に宛てた通信文、いわゆる西海文書は、県の文化財に指定されている貴重な文書です。
また、この地には富士山麓で最大級の溶岩洞穴である、コウモリ穴や竜宮洞穴があり、2つとも国の天然記念物に指定されています。
昭和41年9月25日、西湖地区は台風26号で壊滅的な被害を受け、青木ケ原丸尾上に移住し、民宿村として再スタートします。ヒメマス・へら鮒などの釣りやウインドサーフィンなど、湖上スポーツの地として全国からのファンが集まります。


■根場根場

御坂山地の山々と青木ケ原樹海に接していた根場地区は、そこから伐採した材木や木炭を出荷したり、養蚕や酪農営む集落で、茅葺き民家四十数件が軒を連ねる風情豊かな地でした。
根場地区も西湖地区同様に台風26号で壊滅的な被害を受け、青木ケ原の溶岩台地に移住し、民宿村として再出発しました。
そして今は、災害前の茅葺き集落を再生させた、「いやしの里」創設事業を平成16年度からはじめ、新たなる地域づくりに踏み出しています。


■大嵐大嵐

大嵐地区は、足和田山のふところに囲まれた小村で、「甲斐国志」にもこの地にまつわる様々な記述が見られる歴史深い地区です。県の文化財に指定されている、蓮華寺所蔵の「わに口」は、施主、大工名の他、武田信玄が決起した時期にあたる享録元年(1528年)の銘が刻まれている点に特色があります。
大嵐地区は、鳴沢村との合併の後、単独で50年余を歩んだ独自性の強い地区で、放牧をするほどの乳牛を飼っていましたが、現在では花作りに力を入れています。平成18年8月に町営住宅大嵐団地が完成し、新たな地区の歩みが始まっています 

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